2022年11月29日

今年の出来事

何を書こうか原稿を依頼されてから思い悩みましたが、今年もあと1ヶ月という時期になりましたので、とりあえず今年の主要な出来事について書いてみることにしました。

時系列的に列挙します。

・記憶障害(1月〜)
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年明け早々記憶障害にかかりました。かかったというか自分の不注意でおこってしまったことがあとからわかったのですが、昨年罹患したコロナで入院した際に不眠症となり人生初めて睡眠導入剤を処方が原因だったようです。睡眠導入剤は飲酒と同時に服用すると深刻な副作用を引き起こす可能性が高い薬とのことなのですが、当時私はそのことを知りませんでした。

コロナ入院中は、当然飲酒はできませんので問題ありませんでしたが、退院3ヶ月後服薬を続けるなか飲酒を再開すると記憶障害が発生するようになりました。

家族にも迷惑をかけるような大変な事態となりました。

・定年退職と継続雇用(2月)
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上記のような状態のさなか、定年退職を迎えることになりました。ブラブラするよりは働いていたいと思っていましたので、迷わず65歳までの継続勤務を選択するにしました。

定年になればいろいろと人生に変化もありますが、もしかしたらこのような生活の大きな変化も先の病気のきっかけになったのかもしれません。

・初救急車(3月)
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記憶障害の原因もしらず今年になってからも飲酒と薬の服用の併用した結果3月には症状はさらにひどくなりました。

困った家族になかば強制的に東京から実家へ移される形で、私は実家でしばらく静養・療養をすることになりました。

そして実家に帰って2日後昼食後急に具合が悪くなり、救急車をよぶことになりました。救急車に乗るのは初めてでしたが病院に向かう途中ずーっとバイタルアラームがなりっぱなしで本当に死ぬのではないかと生まれて初めて思い、とても不安になりました。救急隊員さんにアラームを止めてとお願いしましたが願いはかないませんでした。

その後は、なんとか体調も持ち直し自宅にて療養していました。

・断酒(3月)
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救急車をよぶような事態となったため、複数の検査を行い、お医者さんから断酒を強くすすめられました。私自身も家族に迷惑をかけましたし、危ない事態におちいっていたことは認識していましたので完全に断酒をすることにしました。

今後一切飲酒はしないです。

・ウォーキング(3月)
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すっかり体が悪くなっていたため断酒とともに始めたのが、ウォーキングでした。両親からもすすめられはじめたのですが最初はいやいやでしたが、歩きながらこれまでの自分の行動を振り返ったりこれからのことを考えたりするのにちょうどいい機会となりました。平均10kmぐらい一日に歩いていましたがしばらく続ける間に距離を伸ばし20kmを歩くようになると膝が痛くなりちょっとした怪我状態になってしまいました。お医者さんからいい年なんだからちゃんと考えて行動したらどうですがといわれてしまいました。

・神仏に感謝する(3月)
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体にいいことをということで、ウォークングを始めたのですが同時に毎日無事に過ごせていることを神仏に感謝することを習慣にするようすすめられ毎日お祈りも始めました。

東京に帰ってからも続けていて毎朝駅に通う途中にある氏神様にお参りしてひどい雨の日以外は欠かさずお参りしています。

・心機一転。メルカリで断捨離(6月)
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定年退職と病気ということをきっかけに心機一転生活を変えることを考え、その一環として使わないものを断捨離してスッキリすることにしました。

安い値段でもいいので物置に溜まって使っていないものを売却することにしました。町にある中古品買取店に持っていきましたらかなり安かったため、メルカリにて出品してみることにしました。驚くことにメルカリでは買取店に比べて10倍以上の値段で売却できるものもありました。相手方とのトラブルに気をつけることは必要ですが、メルカリを利用するのは中古品売却にはとても良い手段だと感じました。Yahoo!オークションなどでも売却したことがあるのですがメルカリのほうがユーザが多いせいか売却の値段だけでなく売れるまでの期間も非常に短く(ある品物は売却開始から5分程度で買い手がついたりしました)メルカリベストという評価です。

・資格試験(6月)
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継続雇用を選択したものの、65歳で雇用は終了となります。体が動くうちはなにかしら仕事をしていたいと考えていますので、たくさん稼げなくともなにかしらできることを続けたいと考えて色々と調べたのですが、自分の性分や経験スキルなどを考え法律にかかわる業務を目指すことにしました。

さっそく勉強を開始して11月に資格試験を受けましたが、自己採点ではあえなく惨敗。

合格するまで頑張るつもりです。

・新たな趣味(10月)
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仕事するだけでは面白くないので、なにか新しい趣味を持ちたいと考えました。私は多趣味でいろんなことをやってきましたが深く入り込むような趣味はあまり多くなく広く浅くという感じでした。あらためてなにかいいものがないか考えたのですが、母親が定年後にはじめた習字で賞を獲得していたことなども影響したと思いますが(自分にも才能あるかも…なんて勝手に思い)子供の頃好きだった絵画を趣味にすることにしました。カメラも高校時代はまっていたのでどうかなと思いましたが、創作意欲がわかないのでやめにしました。

すでにたくさんの本を読み絵の勉強からはじめています。ときどき近くの公園でデッサンもはじめました。これからは景色のきれいなところに絵画を趣味にしている先輩と一緒にいったりして楽しくできればいいなと思っています。

今年振り返って以上が私にとっての大きな出来事でどちらかというと困った年でした。来年こそは、人に喜んでいただけることができるような人間になるように努力し、来年は良い年にできるよう努力したいと考えています。

ありがとうございました。

次回は たけやん さんにお願いします。

posted by 練馬ぱそぼらん at 19:49| 会員紹介

2022年11月22日

2022年11月例会報告

11月例会報告

日時 : 11月12日(土) 13:30〜18:00
場所 : 中村橋福祉ケアセンター 活動室2
参加者 : 16名(うちZoom参加7名)

議題 :
●活動報告
省略

●サポートの範囲規定作成について
パソコン教室、継続サポート、個別(訪問)サポートでは金融取引等のサポートは
行わないこととする。詳細は後日、センターと相談。

●1月のパソコン教室 スケジュール確認
12/1付区報で受講生募集 → 12/16締め切り → 12/22決定 → 
12/26インタビュー開始? → 1/14前日準備 → 1/15パソコン教室

●忘年会
12/17(土) 18時 中村橋 同心房
後日、詳細を幹事からご案内します。

●つながるフェスタ
1/11〜2/5南田中図書館のパネル展に参加
昨年使用のパネルを再度掲示します。
3/4のフェスタも参加の方向 

●フリーダムMT報告
リモートでの講座は、模擬講座への 反応が薄かったのでアプローチを変える。
「リモート講義のための ツール検討勉強会」を12/3,19:30より実施の方向。

●勉強会 盲導犬について 
講師は、日本盲導犬協会 神奈川訓練センター
広報・コミュニケーション部 普及推進担当 池田 様

盲導犬の役割や育成、視覚障害の方の生活の質の向上が、
動画やPPTと説明で、とても良くわかりました。
今まで、街で見かけるだけだった盲導犬が、
身近に感じられるようになりましたが、一方希望する方に対して、
供給が追い付かない厳しい現状も知りました。
今回参加できなかった方にも、ぜひ見ていただきたいYouTube動画は、
以下のURLからご覧になれます。
https://www.moudouken.net/support/
posted by 練馬ぱそぼらん at 16:42| 定例会の報告

2022年10月31日

父と原爆

ひろぽん さん


 ロシアとウクライナの紛争はいつ終わるのか、まして小型核兵器使用の可能性まで取りざたされると、重苦しい気持ちが続いてしまうこの頃だ。心せかれるままに新しくなった広島平和記念資料館に行き、あらためて原爆被害の恐ろしさを見てきた。

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 広島は父の生まれたところ。その後、父は大阪、四国と転校し中国電力(当時は中国配電といったらしい)で働いているとき原爆が落とされた。筆まめな弟のブログ(https://blog.goo.ne.jp/nobrinsanjps/e/17fca1703c275e463cefbfa0c3829754)から一部を勝手に引用すると・・・・


昭和20年の8月6日
広島の電力会社に勤めていた私の父は
山奥の変電所へ保守のために
列車で出かけることになりました

広島駅を出た列車が廿日市を過ぎた頃
車窓から閃光を見たのです
原爆でした

同僚に代わって出張したことで
幸運にも被爆をまぬがれた父でした

勤めていた電力会社は広島市の中心部にあり
当然父の同僚たちは一瞬にして蒸発したか
黒焦げになってしまったことでしょう

入ることを禁じられていた市内に
何日後かに戻った時に父が見たものは何だったのか?
快活で外交的な父でしたが
心の底には消えない景色があったのかもしれません
(以上弟のブログから抜粋)


 おそらく父の葬儀の時に叔母から聞いた話らしいが、実は、父が変電所に出張したのは8月5日、原爆投下の前夜なのだ。
 徴兵検査で丙種合格という虚弱体質にもかかわらず、向こうっ気だけは強かった父は、住んでいた会社の寮で大勢とケンカし袋叩きにあい、夜のうちに寮を出ていったというのが、真相だ。父も妹には言えなかったのだろう。

 その朝、ふんどしひとつで電柱に登り、変圧器の修理をしていたときにピカッと光った。連絡が取れなくなった本社に所長が行ったきりもどらない。つぎは副所長。えらい順に人がいなくなり、とうとう父が市内にでかけ、惨状を目にしたのだ。

 本社はコンクリートの骨組みだけになっていて、そこに寝泊まりしながら、復旧の手伝いをしたり、被災者の看護をし、炊き出しをもらって命をつないだそうだ。

 父を袋叩きにした同僚たちはみな生きてはいなかっただろう。皮肉なことだが、そのおかげで父は命拾いし81歳まで生きた。

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 新しくなった平和記念資料館には、あの、焼けただれて皮膚が垂れ下がった両手を突き出した被爆者を再現した人形はもういない。残念な気もするが、大伸ばしの写真やハイテク機器を駆使した展示は洗練され、わかりやすくなった。

 やはり核兵器は絶対に使ってはならない。

 広島平和記念資料館はなんと入場料200円というお値打ち価格。広島駅から路面電車で「原爆ドーム前」から行くのがお勧めでSUICAもPASMOも使えます。

次は、シカゴ さんにお願いします。
posted by 練馬ぱそぼらん at 09:56| 会員紹介