ひろぽん さん
ロシアとウクライナの紛争はいつ終わるのか、まして小型核兵器使用の可能性まで取りざたされると、重苦しい気持ちが続いてしまうこの頃だ。心せかれるままに新しくなった広島平和記念資料館に行き、あらためて原爆被害の恐ろしさを見てきた。
昭和20年の8月6日
広島の電力会社に勤めていた私の父は
山奥の変電所へ保守のために
列車で出かけることになりました
広島駅を出た列車が廿日市を過ぎた頃
車窓から閃光を見たのです
原爆でした
同僚に代わって出張したことで
幸運にも被爆をまぬがれた父でした
勤めていた電力会社は広島市の中心部にあり
当然父の同僚たちは一瞬にして蒸発したか
黒焦げになってしまったことでしょう
入ることを禁じられていた市内に
何日後かに戻った時に父が見たものは何だったのか?
快活で外交的な父でしたが
心の底には消えない景色があったのかもしれません
(以上弟のブログから抜粋)
おそらく父の葬儀の時に叔母から聞いた話らしいが、実は、父が変電所に出張したのは8月5日、原爆投下の前夜なのだ。
徴兵検査で丙種合格という虚弱体質にもかかわらず、向こうっ気だけは強かった父は、住んでいた会社の寮で大勢とケンカし袋叩きにあい、夜のうちに寮を出ていったというのが、真相だ。父も妹には言えなかったのだろう。
その朝、ふんどしひとつで電柱に登り、変圧器の修理をしていたときにピカッと光った。連絡が取れなくなった本社に所長が行ったきりもどらない。つぎは副所長。えらい順に人がいなくなり、とうとう父が市内にでかけ、惨状を目にしたのだ。
本社はコンクリートの骨組みだけになっていて、そこに寝泊まりしながら、復旧の手伝いをしたり、被災者の看護をし、炊き出しをもらって命をつないだそうだ。
父を袋叩きにした同僚たちはみな生きてはいなかっただろう。皮肉なことだが、そのおかげで父は命拾いし81歳まで生きた。
やはり核兵器は絶対に使ってはならない。
広島平和記念資料館はなんと入場料200円というお値打ち価格。広島駅から路面電車で「原爆ドーム前」から行くのがお勧めでSUICAもPASMOも使えます。
次は、シカゴ さんにお願いします。